団子坂(千駄木)
白山上から千駄木を通り、谷中へ抜ける都道の千駄木付近、団子坂上から団子坂下までを東に向かって下る坂道。 別名が多く、潮見坂、千駄木坂、七面坂などの名がある。 里俗には団子坂と呼んだ。江戸時代後期から染井や巣鴨の植木職人が作る菊人形の見世物小屋が秋には立つようになり、秋の江戸の名物として大変賑わった。 菊人形は明治になってからも盛んで、二葉亭四迷の『浮雲』、夏目漱石の『三四郎』などにも登場する。
坂の途中の説明板には、団子坂の由来は坂近くに団子屋があったこと、または坂が急で転ぶと団子のようになるからというようなことが書かれている。 七面坂というのは、坂下に木造の七面堂があったため、潮見坂というのは、坂上から東京湾の入江が眺められたからというような説がある。
昔は幅も二間というから、4mほどの道路で、そこを往来する人力車がよく転倒したらしい。坂途中には坂下の植木屋宇平次という人が梅園を開き、紫泉亭という眺望のいい茶亭を作って人気になった。
この辺りのかつての賑わいは広重の描いた名所江戸百景の『千駄木団子屋花屋敷』にも描かれている。 今の風景とは似ても似つかないような風光明媚な様子が描かれている。団子坂菊人形は明治後期に衰退し、両国国技館で大規模な菊人形開始されたため、明治44年で終わっている。
この坂に関する史料を読んでいくと、坂上からは上野の山が見渡せ、寛永寺や五重塔の向こうには東京湾が望めたと多くの文献に書かれている。 どうも現代のビルやマンションだらけの街を歩きすぎて、自分が想像力を失いかけたような反省しきりである。
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