稲荷坂(上野)
忍坂を上ると左手に赤い鳥居が見えてきた。 「花園稲荷神社」と書いた提灯が鳥居の両脇にぶら下がっている。 場所柄外国人観光客が多いのと、彼らが赤い鳥居が並ぶのに好反応なのとが相まって外国人比率が高い。
穴稲荷は五條天神社の境内社とあるが、どうも向かいにある穴稲荷の方が古いようだ。 稲荷の前の稲荷、五條天神社の花園稲荷は後にできたものだが、なぜこのような形になったのかはよくわからない。 江戸が開けるよりも以前からこの地には忍岡稲荷があり、それが岩窟の上にあったので穴稲荷となった。花園稲荷は明治以降らしいので、江戸切絵図にある「イナリ」は穴稲荷のことだろう。
稲荷坂はこの鳥居の間の階段のことを指す。 明治に花園稲荷が新しく再興され、大正時代になってからアメ横入口にあった五條天神社がここに移り、花園稲荷を兼務社とするようになった。しかしやはりこの地の主は穴稲荷(忍岡稲荷)であろう。
階段上の鳥居脇に標柱があり、次のように書かれていた。
「花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保17年(1732)の『江戸砂子』にその名がみえ、明治29年(1896)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂 忍ケ丘の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ」とある。」
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