善光寺坂(谷中)
言問通りは浅草の隅田川にかかる言問橋から根岸を通り、寛永寺坂、善光寺坂、弥生坂を経て春日駅の西片に至る。 その間で二つの台地を越えるのだが、上野台地から藍染川の谷に下るのが善光寺坂である。善光寺坂の坂上からは弥生坂の向こうの東京大学の建物が遠望できる。
善光寺坂周辺の旧町名は「谷中坂町」といい、その昔は谷中村だった。元禄時代(1688~1704)に寛永寺領となったが、町屋が形成されるにつれ、付近に善光寺があったことから、「谷中善光寺前町」と呼ばれた。その後、玉林寺門前町と谷中村飛び地を合わせて、明治2年(1869)谷中坂町と命名された。
「谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以降の新設である。善光寺坂は信濃坂ともいい、その名はこの坂上の北側にあった善光寺にちなむ。
善光寺は、慶長6年(1601)信濃善光寺の宿院として建立され門前町もできた。寺は元禄16年(1703)の大火に類焼して、青山(現港区青山三丁目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治5年まで坂の南側にあった。
善光寺坂のことは、明和9年(1772)刊行の『江戸砂子』にも見え、『御府内備考』の文政9年(1826)の書上には、幅二間(3.6m)、長さ16間(29m)、高さ一丈五尺(4.5m)ほどとある。」
坂の途中にある玉林寺の脇から寺の間を抜ける路地があり、探検ムードを感じさせる面白い細路地になっている。
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