お化けだんだん(千駄木)
汐見小学校の前のだんだん坂を上ると路地は突き当り、右に折れる。 その角には昭和時代の門構えの塀があり、その脇に細路地が通っている。
この細路地を入ると、すぐに急な石の階段で崖を下る。 ここが地元では「お化けだんだん」と呼ばれている階段である。千駄木1丁目8番と10番の間が路地になる。 ここの路地塀に文京区の旧町名由来板が貼ってある。
この辺りは昭和40年まで駒込千駄木町という地名だった。 日本武尊がここの林に駒(馬)を集めて木々につなげたので「駒込」の地名ができ、また昔この辺りで雑木を切り出し、一日に千駄(「駄」は江戸時代の重さの単位で、馬1頭が背負わされる重さを1駄=36貫(135㎏)とした)を切り出したので千駄木と呼んだことが書かれている。
お化けだんだんの下には緑地が残されており、「千駄木ふれあいの杜」と書かれていた。 地元の住民が守っている、太田道灌の系列の太田家の下屋敷跡の森で、都心では珍しい昔ながらの姿を残している。 明治以前はこの階段下は大きな池になっており、そのためか現在でも少し湿気を感じる崖下だった。
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