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2017年12月16日 (土)

汐見坂(薮下通り)

薮下通りというのは、中山道だった尾根筋の本郷通りと藍染川沿いの谷あいに走る不忍通りの間を並行している古くからある崖線の道である。 根津神社裏門から団子坂上、動坂上を通り駒込に抜けている。 しかし江戸時代の切絵図を見ると、薮下通りはそのままカーブして団子坂を経て谷中ミチに繋がっている。 そこで明治時代の地図を確かめてみると団子坂上でY字に分岐していて、右が団子坂、左が千駄木から動坂上へ繋がっている。 江戸時代の団子坂は辺りで一番にぎわっていた通りだったので、そういう描画になったのだろうか。

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その江戸切絵図を見ると、この辺りの薮下通りを「シヲミサカ」と記している。 そのすぐ東側の汐見小学校・区立第八中学校辺りは「四季花屋敷紫泉亭 眺望好し」とあるくらいだから、相当眺めのいい道だったに違いない。

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薮下通りは昔は道幅も狭く、両側は笹藪で、雪の日にはその重みで垂れた笹が道を塞いで通れなくなったほどの藪だったと伝えられる。 自然に曲がりながら続くこの道は、昔からの道のルートを残している。

また中学校の向かいに森鴎外記念館があるが、大正11年(1922)に亡くなるまでの30年間ここに住んでいた。 その屋敷の名前は「観潮楼」といい、やはり江戸湊が見えたということなのかと思えなくもないが、地形図を見る限りではやや訝しい。

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上の写真は、森鴎外記念館前の中学校の脇の階段(「しろへび坂」の通称)から眺めた景色だが、ビルの隙間にスカイツリーが見える。 確かに中学校の建物とその向こうのビルがなければ海は見えたのだろう。

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