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2017年12月17日 (日)

アトリエ坂(千駄木)

江戸の坂ではないが、良い景色の坂である。 千駄木3丁目の裏手に須藤公園がある。 南隣に講談社社宅があり「講談社発祥の地」の石のオブジェが門脇に置かれ、野間清治が明治42年(1909)にこの地で講談社を創業したとある。

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講談社社宅と須藤公園の間を上るのがアトリエ坂。  江戸時代は加賀大聖寺藩松平備後守の下屋敷で、明治以降民間の所有となり、須藤氏が大名屋敷の庭園を残したこの土地を昭和9年(1934)に東京市に寄贈した。 池の中島の弁財天は大名屋敷時代から続くもので、須藤の滝という小滝も配置されて崖線の大名庭園の雰囲気を残している。

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アトリエ坂の由来はよくわからないが、谷根千の地域雑誌の工房があり1984年から息の長い活動をしているその工房があるのでアトリエ坂と呼ばれるようになったではないかと思う。 この工房の作っている谷根千地図はなかなかの情報量である。デフォルメされているが、坂道の名前もきちんと入っていて参考になる。

 

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コメント

タカハシ様

時代の真相となる貴重なお話をありがとうございます。近年谷根千が大人気で周辺を含めて全国区どころか世界的人気にまでなって賑わうようになり、静かな散策を意図するものにとっては時代の息吹が時折聴こえなくなる場合もあったりしました。タカハシ様のお話はとても素晴らしく貴重なものだと思います。アトリエ坂もGoogle Mapにその名が掲載されるようになりましたが、その由来まで知ることが出来てとても感謝しております。ありがとうございました。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2022年9月26日 (月) 08時03分

アトリエ坂の記事、ありがとうございました。とても懐かしく読ませていただきました。画家、棚谷勲 氏のアトリエがあった坂を友人であった詩人の諏訪優 氏が命名したもので、いつのまにかアトリエ坂という呼びなになったそうです。自分が大学生の頃、棚谷先生のアトリエ引越しの手伝いに行った記憶が懐かしく思い出されました。
この引越しを最後にアトリエも移転したので、知っている人も少なくなったのでしょうね…40年ほど前の事ですから…。棚谷先生は1988年8月1日に亡くなっており、その痕跡として、今も語り継がれてること、このように紹介して、いただけたこと感謝申し上げます。
諏訪優(詩と文)棚谷勲(銅版画) 坂のある町 踏青社出版に詳細が書かれています。谷中、根津、千駄木の坂の作品集です。

駄文、すみませんでした。

投稿: タカハシ | 2022年9月25日 (日) 20時53分

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