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2017年12月25日 (月)

新坂(鶯谷)

東京国立博物館の裏手(北側)にJR鶯谷駅の南口がある。 その前を上野の山から言問通りに下るのが新坂。 この坂は鉄道が敷設される以前からあったもので、明治期に現在の京浜東北線が開通するとそれを跨ぐようになった。

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坂の北側は寛永寺の墓地、南側は忍岡中学校。 坂の途中にある忍岡中学校の校門脇に標柱が立っている。

「明治になって,新しく作られた坂である。それで,新坂という。明治11年(1878) 内務省製作の『上野公園実測図』にある「鶯坂」がこの坂のことと考えられ,少なくともこの時期には造られたらしい。鶯谷を通る坂だったので,「鶯坂」ともいわれ,坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。」

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明治維新後に松林を切り開いて作られた坂で、坂下一帯はウグイスの名所として知られ鶯谷と呼ばれていた。 坂上からは根岸下谷を一望でき、かつ反対側の上野全山の桜も見渡せるという条件だったので、かつてここには出店が並ぶ賑やかな坂だった。 松林というのは海辺にあることが多く、ここも大昔は海辺だったのでその名残かもしれない。実際にこの坂の辺りでは貝塚も見つかっている。

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京浜東北線(敷設当時は中山道鉄道)は台地の縁を削って明治15年頃に敷設された。坂の傾斜は鉄道敷設前とそれほど変わっていないのではないだろうか。 この橋ができる前は、ウグイスの聲を聞くために線路に入り轢死する人が多かったというが、当時の汽車はせいぜい40キロていどの速度だったと思われるので、相当のんびりと跳ねられたに違いない。 汽車が危ないという認識をまだ人々が持っていない時代の話だろう。

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