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2017年12月 1日 (金)

白鷺坂(大塚)

文京区の地形は西から、目白台、弦巻川と水窪川の音羽谷、小日向台地、小石川台地、千川(小石川)の谷、本郷台地と、台地と削られた谷とで形成されている。 文京区の北部は大塚だが、大塚の北に豊島区南大塚があるのはいささか地名の違和感を感じる。

そんなアップダウンの地形を東西に横切るのが不忍通り。 本郷台地から猫又坂で下ると、千川跡を過ぎてから小石川台地へ白鷺坂で上っていく。 大通りだから大河のようにゆったりと登っていく(下っていく)感じがする。

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坂下の標高は11mだが坂上は28m、高低差が17mもあるのに大通りで緩やかに登るので車だとあまり傾斜を感じないし、歩いていても緩やかな上りがだらだら続く感じである。 大塚小学校の前の千石三丁目バス停後ろの植え込みに説明板が立っている。

「このあたり一帯は、かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であった。近くの区立大塚小学校地は、池を中心とした伊達屋敷の庭園部に相当すると伝えられる。明治時代を迎えて荒廃するが、「古木老樹がうっそうとしげり白鷺の集巣地となって日夜その鳴声になやまされたものである。」とは土地の古老の話である。この白鷺にみせられたアララギの歌人古泉千樫は、ここに毎日通いつめて白鷺を題材とした短歌をつくったといわれる。

明治末期の東京市区改正に伴う道路整備によって不忍通りの前身が伊達屋敷内を貫通したため往時をしのぶものもなく、そこにできたこの長い坂道にも坂名のないままであったが誰いうとなく白鷺にちなんだ坂名が愛称となった。大正から昭和にかけての人によってつけられた坂名といえる。」

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明治末期に都電が走るまでは、この道は狭い道だった。 千川の両岸には多数の池があり、当然白鷺などの水鳥も多く飛来したことだろう。 明治の地図では大塚小学校の辺りは伊達邸とある。 宇和島藩主が明治の中頃まで住んでいて、飛来する白鷺を保護していた。

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