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2017年12月15日 (金)

新坂(権現坂・S坂)

根津神社門前から東京大学地震研究所に上る坂が新坂である。 別名、権現坂、S坂。 東大地震研究所と農学部のある一帯は大正期まで第一高等学校で、そこの生徒たちはこの坂をS坂と見た目まんまの呼び方をしていたという。 森鴎外もS字型の坂と呼んでいる。しかし実際は逆S字にそれも僅か緩やかにカーブしている程度だが、なぜ皆そうS字と呼ぶのかはわからない。

一方の権現坂は根津神社のことで根津権現に由来している。新坂ということについてはどの本も詳しく触れていないが、江戸切絵図には描かれていないものの、明治の初期以降の地図にはこの道が載っている。 坂下南側は水戸藩の屋敷だったので、明治に入ってから開かれた坂道の可能性が高い。

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坂の途中にある説明板には次のように書かれている。

「本郷通りから根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため新坂と呼んだ。 また根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。

森鴎外の小説『青年』(明治42年作)に.「(中略)… 坂の上に出た。 地図では知れないが, 割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 ……」とある。 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説『青年』を読み、好んでS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。

根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。 五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として団子坂北の元根津から遷座したものである。」

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諸説あるが、森鴎外が名付けたというのは決めすぎだと思う。 一高生が自然に呼んだものというのが自然である。

根津神社は徳川六代家宣の産土神とあるが、元は千駄木にあった神社を宝永3年(1706)に遷座したもの。 本殿や山門などの建築物は1706年に造営されたものが焼けずに現存している。

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