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2018年1月23日 (火)

馬喰坂(目黒)

なべころ坂上の藤の庚申から古道の庚申道を南西に進むと、左手にモダンな長泉院という寺がある。 江戸中期の創設で、現在では現代彫刻美術館を併設し、庚申道脇の野外展示場には抽象彫刻が並んでいる。 そのまま進むと交差点(辻)が現れる。この交差する道も江戸時代からの古い道で、辻の脇に庚申塔が複数立っている。

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「馬喰坂上の庚申塔群」と呼ばれ、年代は左から1742年、1706年、1680年、1710年。最古の右から2番目の庚申塔には三猿が彫られている。 庚申塔の管理をしているのは向かいにある天台宗三等山永隆寺で、元和4年(1618)に日蓮宗の寺として創建されたが、元禄11年(1698)に天台宗に転宗した。

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辻に戻りそのまま進むと田道への下り。 曲がって下っていくいかにも古道という道。 坂上の標柱には、「馬の鑑定や売買を行う馬喰(博労・伯楽)と関連させる説と、風雨にさらされて地面に穴のあいた状態を目黒の古い方言で「ばくろ」といったという説がある。」とある。

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石川悌二氏の書物だと、急坂であったので昔はこの坂に差し掛かると馬喰が苦労したということを由来としている。 赤坂の牛鳴坂と同じような坂名のパターンである。しかしこの道が古道だった点には疑問がある。庚申道の尾根筋は細い尾根で、この先の十七が坂下を迂回する方が遥かに楽なのだ。 なぜわざわざこの峠を越える必要があっただろうか。

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可能性があるとすれば、十七が坂下の谷戸前川沿いの道を通行しにくい理由があったとしか思えない。 また坂下の大谷石土台の生垣の民家前にも目黒区の説明板がある。

「逆Sの字にカーブを描く目の前の坂が馬喰坂。その昔、坂はとても急で、切通しの工事を行った。 しかし頂上部は、庚申道が交差して思い切った工事が出来ず、風雨にさらされると、大小の穴で路面が凸凹していた。道路に穴が開いた状態をむかしの方言で「ばくろ」といい、それが坂の名となったという。馬喰の字は当て字らしい。」

どれが正しいのかわからないが、こういう諸説ありは嫌いではない。 だからこそ古道の坂は面白いのである。

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