相生坂(五反田)
JR山手線五反田駅のホームに立つと、国道1号線が交差して伸びていく景色が見える。 ごの風景がここが五反田であることを気づかせてくれるとさえいえるだろう。 この国道1号線の高輪台への緩やかな上りが相生坂である。 別名は下大崎坂。
これだけの広い通りなのであまり坂の傾斜を感じることはないが、五反田駅の標高は3m、高輪台は27mとかなりの高低差がある。 上の写真の道路向こうにある白いビルの手前に雉子神社があるが、そこと駅のガードの標高差ハ20mもある。
雉子神社はビルに囲まれて鎮座するが13世紀から続く神社。 三代将軍家光が鷹狩りに来た際に、1羽の白雉が飛び入ったのを見て、将軍の命でそれ以前の大鳥明神という名を雉子ノ宮と改称した。
これだけの大通りなので、標識を探すのにも苦労するが、通りの西側のブラジル銀行前にモダンな標柱がある。また東側の標柱は坂のずっと上のバイク店レッドバロン手前にある。 二つの標柱の距離は400mも離れている。 400mで20mの高低差なので傾斜的には大したことはないが、歩くといつの間にか疲れている感覚がある。
標柱には、「相生坂の名称は、古く江戸時代から呼ばれていた。 その由来は御殿山方面から宝塔寺(東五反田1丁目)前を通る道と、この坂のある中原街道が、雉子神社の手前で合流していたことに基づくとされる。 昔は急坂で険しいものであったが、だんだんと道路整備がされて現在のようになった。 別名を雉子ノ宮坂ともいう。」 と記されていた。
昔は景色も良かったようで、『新撰東京名所図会』には、下大崎坂は雉子ノ宮を南に下る坂で、前面は低地を隔てて、霞のような森が遠く眺められ、郊外ののどかな村の風景が望め、広重の絵になってもおかしくない、とある。 また、坂下には袖ヶ崎橋で三田用水を渡ると書かれている。
恵比寿から目黒駅脇を流れてきた三田用水は白金台を抜けて、雉子神社のすぐ下を流れていた。大正時代まではこの大通りはくねくね曲がる村の道だったが、昭和に入る頃に都電を通すためにまっすぐに付け替えられ今のような道になった。
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