中山坂(新富士坂)
別所坂の坂上から恵比寿に下るこの坂は中山坂、観音坂、新富士坂の名前がある。 この道は広尾から別所坂を通り世田谷に抜ける世田谷道の一部である。 江戸時代からの古い街道であるため、いくつもの史跡が残っている。
坂は広く緩やかなので坂らしさは感じられないが、古い街道らしく緩やかくねっている。 途中に馬頭観音があるが、縁起によると、享保4年(1719)この辺りに悪病が流行し、与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させた、とある。 そのお礼に石観音を作り、祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願い、原(当時のこのあたりの地名)の中程に安置したと伝えられる。
少し恵比寿駅寄りのバンタンデザインのビル横には欅の巨樹がある。渋谷区の保存樹木に指定され注連縄も巻いてある。 根元をコンクリートで固めてあるのがいささか可哀想だが、300年は下らないと思われる。 ということは別所坂界隈の様々な歴史の中にもこの巨樹は存在し続けたことになる。 街道の目印だったに違いない。
この坂と別所坂の東側にある防衛庁の施設が広がる場所は、江戸時代は将軍の鷹狩り場だった。 庶民が入ることが出来ない御留山で、それを管理していた中山勘右衛門の屋敷がこの坂にあったので中山坂と呼ばれた。 また目黒の新富士が出来たので新富士坂とも呼ばれた。 観音坂はおそらく馬頭観音があるためと思われる。
坂の恵比寿側に道しるべの石碑が残っている。石碑は安永8年(1779)に建てられ、右にゆうてんじ道、左に不動尊みちとある。ここが分岐点で左に行くと茶屋坂、田道を経て目黒不動へ続いていた。
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