寺郷の坂(中根)
鉄飛坂とは相対する位置の坂で、呑川が削った谷が形成した坂道である。緑ヶ丘駅辺りで九品仏川が呑川に合流するが、その二つの川の間で岬のようになった丘から東に下る坂と南に下る坂がそれぞれある。寺郷の坂は東に下る坂。鉄飛坂の途中から寺郷の坂を遠望するとなかなか壮観。
坂途中の「岡田家長屋門」前に目黒区が設置した標識がある。
「この坂上には立源寺があり、かつてこの周辺を「寺郷」といった。また、この坂は江戸時代、九品仏へ向う道で、この辺りい水茶屋があったため「衾の茶屋坂」とも呼ばれていた。」
岡田長屋門は名主岡田家の屋敷。昔この辺りは「岡田の森」と呼ばれ、森の裾を流れる呑川には水車があった。風格のある母屋や長屋門は江戸時代の建築である。裏手にある中根公園も岡田家の屋敷の敷地内であった。門の裏の母屋には今もお住いのようである。
寺郷の坂は別名茶屋坂とも呼ばれたが、江戸時代の初め、衾村の寺郷(この辺りの地名)に奥沢の九品仏浄真寺参りの参詣客を当て込んだ4軒の水茶屋があったことによる。一休みするのに格好の場所にあったのがこの寺郷の坂周辺だったようである。
寺郷の意味を目黒区では立源寺(りゅうげんじ)があったこととしている。寛永元年(1624)の開基で、碑文谷の法華寺の僧が開いた。しかし寺郷というのに寺は1軒のみというのがいささか違和感あり。道家剛三郎氏は宮前に対して寺郷という地名にしたのではないかと推察していた。目黒通りの向こう側にある氷川神社と対比したのだろうか。
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