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2018年1月24日 (水)

目黒不動男坂

目黒不動は江戸の一大観光地であった。天台宗泰叡山龍泉寺が正式名。上野寛永寺の末寺で、慈覚大師が大同3年(808)に比叡山に向かう途中、中目黒で宿をとった折、神人の夢を見た。その後大師が唐に留学して、ある日長安の青竜寺を訪れ不動明王を拝んだところ、中目黒で夢を見た神人と同じ姿だった。大師は帰国後、すぐに不動尊像を彫り目黒の地に安置した。その後平安2年(858)にお堂を造営したのが泰叡山龍泉寺の始まりとされる。

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江戸時代になり、寛永7年(1630)に上野護国院の末寺となり、将軍家の保護を受けるようになった。きっかけは徳川家光が目黒に鷹狩りに来た折に、鷹が行方不明になり、それを目黒不動の僧に祈らせたところ、鷹が無事に帰ってきた。家光は深く不動を信仰し、寺の堂塔の建て直しも行った。

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目黒不動男坂は47段の石段で真ん中に鉄製の手すりがあるが、傾斜は相当急である。上り口に独鈷の滝があり、慈覚大師が独鈷を投げたところ湧き出したとある。いわゆる台地の縁の湧水であるが、いまだに枯れたことがないと札には書かれていた。日照りで清水が枯れることはあまりない。どちらかというと地震で止まることの方が多い。なぜなら湧水は時には何十年も地下を流れてから地表に出ることがあるからである。

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たださすがに東京都内の開発の影響が出たのだろうか、最近は往年のような水量ではなくなったらしい。都内の湧水がひとつまたひとつと枯れていくとすると、それは過度な都市開発によるものだと思う。守りたいものである。

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