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2018年1月23日 (火)

十七が坂(目黒)

十七が坂もまたユニークな坂名である。 尾根筋の庚申道が突端で川沿いに下る急坂になっている。 目黒区の坂道ウォーキングでは勾配No.1とされている。道路標識は10%と大したことはないが、平均斜度は11.5度となっているので本当は20%と標識には書かれるべきであろう。

坂の名前の由来だが、坂上に標柱がある。 「『十七』とは若者をさし、元気な若者たちは回り道をせずに、この急坂を利用したことから名が付いたという説や、坂の途中にある板碑型庚申塔に17人の名が刻まれていることに由来するという説など、由来についてはいくつか説がある。」と書かれている。

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坂上の庚申塔群は大規模なもの。 宝篋印塔型のものは2mもあり、寛永3年(1626)のものである。手前の板碑型は明暦3年(1657)とどちらも江戸時代初期のもの。 宝篋印塔型の1626年は目黒区内で最古の庚申塔である。板碑の下の方に名前が彫ってあり、右側の筆頭に「権之助」とあるのは、権之助坂の由来になった菅沼権之助(中目黒村田道の名主)だという説がある。

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昭和10年に刊行された『目黒大観』には、この坂上にて十七の娘が殺されたのを、近隣の人が憐れんで十七が坂と呼んだと記されているようだが、どれが正しいのかはこれ以外の説もあって決められない。 別説では、この坂あたりに戸数17軒からなる集落があったので十七が坂、またこの坂で滑って転ぶと17歳になった時に災いが起こるという言い伝えがあったなど、本当に様々な諸説あり。

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坂下から見上げるとやはり勾配は極めてきつい。 最大斜度は13.2度というから、23.4%の勾配になる。 それがこの坂を目黒区No.1とする理由と思われる。 坂下の先に谷戸前川の暗渠緑道がある。まだこの暗渠は探訪していないが、ぜひ歩いてみたいと思う。

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