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2018年1月21日 (日)

小川坂(中目黒)

中目黒付近の目黒川の左岸は切り立った崖が多いが、右岸は緩やかな傾斜が多い。 これは目黒川が若干のカーブを描きながら流れるからで、右岸はカーブの内側になるからである。 また、馬事公苑辺りを源頭とする蛇崩川が中目黒で目黒川に合流している。 中目黒周辺は二つの川に挟まれた丘陵なのである。

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小川坂はこの挟まれた丘陵に目黒川側から上っていく坂道。 坂上に目黒区の説明板がある。

「かつて、この一帯を『小川』といい、坂下に広がっていた田んぼを『小川田んぼ』と呼んだ。この辺りの旧家小川家が地名の由来と言われる。また、この坂のある道は、鎌倉へ通じる道として中世の頃開かれた鎌倉道であった。」

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小川坂は緩やかな弓の形を描きながら上っていく。 この曲がり方はなかなか魅力的だと思う。 明治になってからも目黒川はしばしば氾濫し、小川田んぼは濁流に飲まれ次第に作付けされなくなっていった。 ところが関東大震災で住宅のニーズが高まり、目黒川の改修や土地区画整理が行われ、昭和初期に中目黒駅ができると市街地として急速に発展していった。

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明治から大正時代は坂下の地名は小川、坂の中腹は烏森、坂上は宿山といった。 坂の上から路地に入ると蛇崩川に下る階段がある。 「烏森コミュニティ道路」という銘板が付いていた。 景色のいい階段路地である。

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この階段の東側に同じ蛇崩川の崖線に建っているのが、烏森神社である。神社裏には崖線に張り付くように路地が通っていて、そこから神社への下りの裏参道、神社下には崖下からの表参道の階段になっている。

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創建の年代は不明。 明治まではこの辺りは宿山と呼ばれていて、上目黒村宿山の鎮守として古くから祀られてきたと伝えられる。 烏森の名は、昭和になって地名からは消えてしまったが、現在でも小学校の名前に残されている。

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