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2018年1月16日 (火)

相ノ坂(青葉台)

森田一義氏(タモリさん)の『TOKYO坂道美学入門』の表紙を飾っている坂道である。 この坂に目を付けたのはさすがだと思う。 坂の歴史は古く、江戸期から農道として切通しで崖線を上る道があったようだ。

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坂下は菅刈小学校脇の路地から始まる。 創立は明治8年(1875)と古く、当時この地は上目黒村だった。 小学校のフェンス脇に目黒区の立てた標柱がある。

「坂の上の旧大山道(現、多摩川通り)と、坂下の旧日向道(ひなたみち)の間の坂だからとする説や、人々が落ち合う坂(合の坂・逢の坂)だからという説がある。」と書かれている。

日向道は山手通りと玉川通りの立体交差南から目切坂までの崖線下の道。 山手通りができるまでは、この道が目黒川左岸の道だった。

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この坂のハイライトはやはりこの脇の階段に挟まれた大谷石の石垣と緩やかに湾曲して上る急坂の風景である。 一軒先のソテツもまたアクセントになっている。 この道を上っていくと、森田氏の言うように地中海のとある国の海岸の斜面の道を上っているような異国情緒を感じるから不思議である。

どうもこの坂は下から見上げる写真ばかりがこの坂を表しているような気がしてしまい、上から撮影した写真が何枚もあるのだが使う気になれない。 そういう不思議な坂だ。

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坂上に近づくと住宅の擁壁の切通しの中を上る。 坂上で出合う道はかつて三田用水の側道だった道。 坂下の上目黒村は一大穀倉地帯で、三田用水と目黒川からの豊かな水が源だった。

菅刈小学校の菅刈とは菅刈の荘という古い時代の地名からきている。 荘園(奈良時代から戦国時代までの貴族や寺社により領有されていた土地)時代の名残である。 小学校の先にある菅刈公園やその上の西郷山など地形と歴史に関連の深い場所も多い。

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