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2018年1月 4日 (木)

百反坂(大崎)

大崎駅の西口はかつては京浜工業地帯の代表的な工場地だった。 明電舎やSONYの工場が並び、その関連の中小の工場が周辺にたくさんあった。 ところが現在はほとんどがきれいなオフィスビルに変わってしまっている。 東口の大崎ニューシティはあっという間にオールドシティになってしまったほど変貌の激しい町である。

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百反坂は線路わきの丁字路から始まる。緩やかにカーブしながら徐々に標高を上げていくが、この道筋は明治以前のままである。坂下と坂上の商店街に品川区の標柱がある。

「この、現在「ひゃくたんざか」と呼ばれている坂は、古くは「ひゃくだんさか」と呼ばれていた。このあたりは、目黒川に向かって傾斜している台地の端にあたり、その傾斜が段々になっていることから名づけられたという。「百」とは、「数が多いこと」を意味することばで、「段々が多いこと」から「百段」になり、のちに「百反」に転化したものと考えられている。」

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しかし、この辺りは工場が建つ以前は目黒川沿岸の農業地だった。 北品川宿の一部で字百反耕地と呼ばれていた田園地帯で、それが百反坂の由来だという説の方がしっくりくる。目黒川があることで舟運に有利であったので、明治以降西洋式の工場の受け入れ地となり、水田がどんどん埋め立てられて工場に変わっていったという。

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坂はだらだらとわずかにカーブを描きながら商店街を上っていく。この辺りは明治以前に民家がたくさんあったところだ。 また脇を品川用水の分流が流れており、江戸時代には周辺の農地に水を供給していた。

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古い地図では坂上の道に水線があるので不思議に感じたが用水であれば納得である。周辺の農地に水を配するには標高が若干高くなければならない。 坂上からは今はビルしか見えないが、目を閉じると目黒川沿いに広々とした田園地帯が広がる風景を想像する。

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僅か100年の間に目まぐるしい変化にさらされた小さな稲荷が商店街の脇の用水跡にある。明力稲荷大明神という。この稲荷の周辺は昔の風景を残している。

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