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2018年1月22日 (月)

稲荷坂(中目黒)

鎌倉時代に各地から鎌倉に向かう道を鎌倉街道と呼び、現在でもあちこちにその名が残る。 その一つ中路(なかつみち)は下野国(栃木県)と鎌倉を結ぶ道で、そのうちの一つと伝えられるのが代官山~目切坂~目黒川の宿山橋~小川坂。 宿山橋で目黒川を越えるとすぐに道は宿山方向と諏訪山方向の二股になった。宿山へ向かうのが小川坂で、もう一方は諏訪山を越えて蛇崩川に下り、その先で再び上りになる。 その上り坂が稲荷坂である。諏訪山を越える道も名坂だが名前はない。

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坂名の由来を烏森神社にある烏森稲荷とする説もあるが、おそらくは坂の途中にある刺抜稲荷大明神が由来だと思う。 坂の途中の目黒区の標柱もそう記している。

「この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。」

目黒区のHPでは小川坂を鎌倉街道の中つ道としているが、これは別の鎌倉道という認識なのだろうか。

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ただこの刺抜稲荷大明神がなかなか見つけにくいところにある。稲荷坂の途中から東に路地を入り、駐車場を見るとその車の後ろにひっそりと社がある。 社の脇には目新しい石碑(1992設置)が立っており、由来が彫られている。

「今から655年前 国内は南朝北朝に分れ戦乱の世となりました。 このとき南朝の雄新田義貞公の弟義興公が鎌倉攻めにあたり、多摩川の矢口渡しにおいて不遇の死を遂げられたので、家臣であった田中家の先祖がこの地に土着して主君の霊を弔うお堂を建てたのが創まりと伝えられています。

尓来一族のシンボルとして今日に至りましたが、日頃参詣参拝される多くの信者さんからは、霊験あらたかなおいなりさんと親しみ愛され崇敬されてまいりました。 このたび老朽のため建替えにあたりここにルーツの概要を刻み遥か昔を偲び向後の資とします。」

碑を建てたのは真裏の存在感ある日本建築の地主である田中氏とある。

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稲荷坂を上って振り返ると渋谷のセルリアンタワーがそびえているのが見える。 この辺りの旧地名は久保田。 その地名はほとんど残っていないが、唯一坂上の額縁工房のやっているアパートが久保田荘という名前なので名残の可能性はある。

目黒川右岸の目黒台の関東ローム層の下には帯水層が広がっており、東山貝塚、烏森神社、諏訪山、中目黒八幡、目黒不動など、台地の縁の崖線に湧水が見られる。そのため東山貝塚の旧石器時代から縄文弥生時代に始まる数千年の人間の営みが残っている。

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