どぜむ坂(碑文谷)
環状七号線と目黒通りの交差点は柿の木坂陸橋で立体交差している。 環七は概ね尾根筋を走っており、目黒区のこの辺りはわかりやすい。 柿の木坂陸橋より都心側がどぜむ坂、外側が柿の木坂になって下っている。 碑文谷には1975年から昭和の東京を象徴するダイエー碑文谷店があったが、2016年にイオンスタイルに変わってしまった。消えゆくダイエーをを見るたびに昭和が遠のく気持ちになるのは年配者にはお解りいだだけると思う。
そのダイエー前から柿の木坂陸橋までがどぜむ坂である。 スーパーオオゼキの前に東京都の説明板が立っている。
「坂名の〝どぜむ″は堂前(どうぜん)の意味で、昔このあたりの道端にお堂があったことから〝どぜむ坂″と呼ぶようになったといわれる。また、この土地の〝土左衛門″なる人が開いた坂なので〝どざえもん坂″、それがなまって〝どぜも坂″と呼ばれるようになったともいわれている。」
坂下は大正期まで田んぼと雑木林で、現在の立体交差の辺りを殿山と呼び目黒村と碑衾村の境界だった。 柿の木坂やどぜむ坂を上ってきた人々はこの辺りで一休みするので、江戸時代の後半には茶屋や団子屋でにぎわっていたという。
碑文谷の由来は諸説あるが、碑文谷八幡宮に残る碑文石にまつわるというのが通説のようである。 また目黒通りは古い街道で、権之助坂を下り碑文谷を経由して等々力に抜ける現在のルートと同じだが道筋は蛇行していた。
目黒名物は筍(たけのこ)が有名で、昔はあちこちに竹林があったが、大半が消えてしまった。その中でどぜむ坂の東側にある「すずめのお宿」には素晴らしい竹林が残されている。 昭和初期にはこの竹林には数千羽の雀が住んでおり、地元の人々がそう呼んだ。 園内には古民家がある。 衾村の旧家栗山家の母屋を移築したもの。
すずめのお宿の先には碑文谷八幡宮もあり、周辺は散策が楽しい。
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