新道坂(中目黒)
新道坂は駒沢通りの鎗ヶ崎から中目黒へ下る。 昭和2年(1927)に都電中目黒線が開通し、狭い急坂の旧新道坂に変わって、広くて緩やかなこの坂ができた。 新道坂の名前は目切坂と別所坂の間にできた新しい坂の意味である。
「坂名は、別所坂と目切坂の間に新しく開かれたため、新道坂と呼ぶようになった。 坂上の左右に見えるコンクリートの擁壁は三田用水の名残りである。 三田用水は、寛文4年(1664)芝白金御殿の池水を引くために玉川上水の分水路としてつくられ、この尾根を通って三田・芝方面に流れていた。人々は農業・工業・雑用水として利用したが昭和50年にその流れを止め,約三百年にわたる歴史を閉じた。 線路ぎわの狭い道が旧道である。」 と書かれている。
三田用水の掛樋は私が上京したころ(1976年)にはまだあった。 用水が廃止されたのは昭和49年(1974)だが、掛樋が撤去されたのは昭和57年(1982)であった。
明治時代はまだ日比谷線は勿論、東横線も開通していない。 恵比寿から鎗ヶ崎に延びた道路は三田用水の下を煉瓦のトンネルでくぐっていた。 新道坂はその頃の命名である。 その後大正から昭和になって、市電の敷設をするときに坂上から分かれたのである。 なかなか風景を想起しにくいが、「昭和毎日の池田信氏の写真」でよくわかる。
東京都の説明板の三田用水の説明のくだりで、「坂上の左右の擁壁」とあるが、残念ながら東側はダイヤパレス代官山マンション、西側もすでにビル化し、存在が消滅しているようだ。 ただ目切坂上の地蔵尊の脇の道が水路跡と考えられる。
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