皀莢坂(旗の台)
中原街道は「街道」と付くぐらいなので昔からの道である。 古すぎて始まりは不明だが、東海道の一部として使われてきた時代もあった。 徳川家康が三河から江戸入りした時も、東海道ではなく中原街道を通ったといわれている。
そんな中原街道の旗の台(昭和大学病院前)から環七と交差する南千束に向かって上る坂道が皀莢坂である。
「坂名の由来は、坂の右手に「さいかち原」があったからとも、両側にさいかちの木があったからともいわれる。 さいかちは豆科の落葉高木で、以前はこのあたりの山野に自生していたものである。清水山あたりには昭和30年代まで巨木が残っていた。中延(注:このあたりは江戸時代は中延村といった)の古い麦打唄に、「お前さんとならばどこまでも、さいかち原の中までも、親を捨てこの世がやみになるとも」というのがある。」
駿河台のさいかち坂は皀角坂と書くが、こちらは皀莢坂と書く。 何種類かの書き方があるのだが、どう違うのかはわからない。 品川区のHPに「大正時代までは、右手に清水山、左手に亀の子島(山)の崖と崖にはさまれ、樹木と雑草のしげる、昼なお暗い坂であったといわれる。」とあるが、地形図を見てもそのような地形には思えないのだが。
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