太鼓坂(八雲)
目黒区八雲はその西側を世田谷区深沢に接し、目黒通りを挟んだ南側は中根と自由が丘というのが現在の街区である。 目黒通りはこの辺りではほぼ台地の崖線上を走っている。 東京オリンピックから万博までの高度成長期に目黒区の町名が改定された。以前の八雲の町名は宮前町、中根町、衾町だった。
柿の木坂以遠の目黒通りは意外と最近の道路で、開通したのは東京オリンピック前後だったようである。 この目黒通りにより八雲と中根が分かれる。太鼓坂にある小学校の名前は旧町名時代に開校したので宮前小学校である。
写真の左側が宮前小学校。 ここから急な坂になる。 小学校の壁に太鼓坂の説明板がある。 「昔、この坂が太鼓のような形をしていたので、または、急坂のため太鼓を転がすように人が転げ落ちたので、太鼓坂と呼ばれるようになったといわれています。」 とある。
この坂を形成したのは無論呑川である。 宮前小学校は1958年創立。私の生まれた年だ。意外と新しい。 現在の坂は切通しになってきついとは言っても昔に比べれば緩やかになっている。 昔は本当に急な坂で、本当に転んだら止まらないような坂道だったようだ。
坂下の遥か彼方に大きな建物がそびえている。 東京都立大理・工学部跡に日商岩井と長谷工の建てた深沢ハウスという巨大マンション群である。なんとマンションが13棟も林立し、反対運動や訴訟がいくつも起きた問題物件であった。 長谷工が行政の意見をほぼ無視して強硬に建築を進めたが、住民で確実な勝訴を勝ち取れた者はいなかったと聞く。 ゼネコンと行政の癒着も疑われたが、住民には打開することが出来なかった。
不透明な条件下での法に触れない権利だったのだろうが、日本の民主主義の後進性が見えた典型だと思う。建てたもん勝ちの状況は現在も変わっていない。
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