木芽の坂(このめのさか)
大井町駅前のきゅりあんから大井消防署へ下る道。 区立立会小学校の南側を下っていく。 坂下の公衆トイレの植込みに品川区の標柱が立っている。
「この木芽の坂という名は、若葉の頃が美しかったためにつけられたといわれている。 江戸時代には、この坂の北側に越前国(福井県)鯖江藩間部家下屋敷があった。 坂の南側は崖になっており、下には泉があったという。」 と書かれている。
鯖江藩間部家は1737年以降で、それ以前は仙台藩伊達家だった。 江戸時代から明治の初めにかけては崖上は杉林と畑に囲まれ、東海道に下る細い道があった。 明治になってからの地図にも伊達・間部屋敷の周りには囲いが描かれているので、塀があったのかもしれない。
南側の現消防署の辺りには池があった。 坂より南は少し谷地っぽく凹んでいるようなので、湧水があって池ができたのだろう。 同じような湧水が下屋敷にもあり、見事な庭を形作っていたはずである。
元々の海岸は坂下から200mほど先だった。 そこには東海道が通り、海側の家屋の裏は即海岸だった。鮫洲の運河に下る道として整備して広げた時に、急坂だったのを広げた。 昭和の初期のことである。
木の芽というのは食べる対象ならばアケビの若芽のこと、そうでなければ山椒の若芽のことだが、かなりの樹林地帯だったのでどちらもここには生えていただろう。 私の推測では由来は前者のアケビの方で、春先に東海道周辺の人々はこの坂に来て木の芽を採取したので、この坂名がついたのではないだろうか。
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