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2018年1月19日 (金)

茶屋坂(目黒区三田)

落語『目黒のサンマ』の話に出てくる爺々ヶ茶屋が茶屋坂の由来。 江戸時代、三代将軍家光が現在の自衛隊施設辺りにあった将軍鷹狩り場へ鷹狩りに来た折、背後にそびえる富士山の遠景を楽しみながら、湧出る清水で茶を沸し飲んだといわれる。 また八代将軍吉宗は、祐天寺詣での折にこの茶屋に立寄ったと伝えられる。

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その茶屋坂の清水の石碑が上の写真の二股の間の空き地にある。左の道が茶屋坂、右は昭和中期に出来た宅地用の道路。 道路の路面標示は茶屋坂が側道のように書かれているが実は逆である。右は住宅地で行き止まりなのである。

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茶屋坂は二段坂になっている。下半分よりも上半分の方が傾斜がきつい。 上の坂は坂上で左に折れ、さらに上っていく。 前述の茶立ての清水で茶を沸かして将軍御用達となった茶屋の爺さんがサンマを焼いていると、それを食した将軍がたいそう気に入って「サンマは目黒に限る」というオチが落語なのだが、そこまでの話の筋はぜひ落語で楽しんでいただきたい。

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その茶屋の主人は彦四郎といい、家光が「ぢい、ぢい」と呼んだので爺々ヶ茶屋になったらしく、本当に爺さんだったかどうかは訝しい。 とはいえ将軍に面識がある町民というのは大したものだったろうと想像する。 実際には将軍やその家来といえども、太平の世の中であったので、気軽に庶民とコミュニケーションを取っていたのではないだろうか。

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諸説あるが爺々ヶ茶屋は坂の中腹にあったのだろうと思う。 坂の折れ目にあったという説もあるが、眺望を楽しむならそれも正解。ただ清水となるともう少し低いところでないと出にくいように思う。

上の写真は茶屋坂の坂上で右側の下り道が茶屋坂なのだが、左の道は三田用水があった筋である。 三田用水が出来たのは1664年だから、家光の在職期間(1623~1651)にはまだできていない。 吉宗(在位:1716~1745)は三田用水以降である。

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