上村坂(青葉台)
代官山のハイソな旧山手通りとかつての目黒川左岸の道旧日向道を結ぶ坂道の一つ。 道路標識の勾配は17%とかなりの急坂である。 坂名の由来は坂下にある目黒区の標柱に記されている。
「上村坂という名前の由来は、明治時代の軍人で海軍大将・男爵にまですすんだ上村彦之丞の邸宅が、この坂の上にあったためといわれている。」
上村彦之丞は薩摩藩士の家に生まれて戊辰戦争に行き、明治維新後は海軍で日露戦争では第二艦隊司令長官になった人物である。
坂が開かれたのは明治時代。 坂上の旧山手通りには三田用水が流れ、坂上からの眺望はなかなかのものだった。 今でもすぐ西にある西郷山公園からは富士の眺めが楽しめる。
西郷山公園とその崖下の菅刈公園は、西郷隆盛の弟である西郷従道が購入して、征韓論に敗れて帰郷した西郷隆盛を東京に呼んだのだが、西南戦争で隆盛は亡くなり実現しなかった。 西郷家は昭和16年までここに住んでいた。
坂の中腹に美空ひばりの家がある。 生前長くここに住んでいた。 現在は記念館になっている。 息子の加藤和也が運営しているらしい。 完全予約制だが、この坂を通ると昭和のおばちゃまたちがしばしばたむろしているのを見かける。 しかしこの辺りのトレンドは山手通り周辺のEXILE(LDH)に変わっていて、山手通り沿いにはやたらと若者が多くなった。
坂下の目黒川は昔は蛇行した川だった。 しばしば洪水を起こし、その代わり肥沃な土地で農業が盛んだった。 目黒川はそういう川なので、最近でも時々危険水位になって騒がれる。 しかしこの旧日向道と山手通りの間は、そういう歴史の上にある土地だということを多くの人は忘れている。
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