大坂(青葉台)
大山道は古い街道である。 平安以前からの街道で東海道の一部として、東京から小田原方面への大動脈(矢倉沢往還)であった。 鎌倉時代になると現在の世田谷通りに近いルートがメインになり、ボロ市の前身もここで生まれた。 江戸時代には東海道と甲州街道が栄えたため、大山道は多少寂れたが、江戸期のルートはほぼ現在の国道246号線に沿うルートになった。
宮益坂、道玄坂と来た大山道が神泉で空川と目黒川を渡るために再び下り坂になるのが大坂であった。 上の写真の左の高速道路高架の道路が新しい大坂で明治40年に玉電が開通した時に出来たルート。 右はそれ以前の大山道で、一旦空川に下ったのち、上目黒氷川神社下を経て目黒川を渡り、三軒茶屋に続いた。
坂上の分岐点に目黒区の標柱がある。 2016年頃、それほど古くなっていなかった(平成20年と書かれていた)のに新調されていたが、車でもぶつかったのだろうか。
「厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので、大坂と呼ぶようになったといわれる。 この坂標識の北側の坂が旧道で、南側の坂が新道である。」 と書かれている。
道玄物見の松の場所はこの大坂の脇にあったというのが定説だが、道玄坂上にあった松、淡島通りの松見坂にあった松など諸説があるのでどうだろうか。 ただ、盗賊の手下がこの松に登りカモになる旅人を監視し、襲っていたという話は昔は全国の街道あちこちであったことだろう。
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