御殿山の坂(大崎)
御殿山という地名は品川区にはないが、この辺りには御殿山と名の付く建物や場所がたくさんある。 江戸時代、東海道の最初の宿場である品川宿が、現在の京急北品川駅から青物横丁駅にかけて賑わっていた。 寛永13年(1636)に品川宿を見下ろす丘陵地に品川御殿と呼ばれる将軍の鷹狩りの休憩所が作られた。 これが御殿山の由来だというのが有力説。
坂上にはミャンマー大使館がある。 昭和世代にはビルマ大使館の方がしっくりくる。 そこから南へ進むと神戸製鋼所東京本社沿いに、桜並木のお洒落な道が下っていく。 坂の上に品川区の標柱がある。
「このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩りの折に休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。もとは急な坂であったが、何回かの修復でゆるやかになった。」
江戸時代この坂の上は御殿山、坂の下は東海寺の境内だった。 東海寺は江戸を代表する寺院の一つで、上野の寛永寺、芝の増上寺に匹敵する力を持つ寺であった。 三代将軍家光の加護を受けた沢庵和尚が創建。 品川神社を境内の一部にするほどの大きな寺だったが、明治政府によりほとんどの寺領を接収された。
江戸末期になると黒船来航でお台場を作るために、御殿山と八ツ山を切り崩したため御殿山の第一京浜寄りの形が変わってしまった。現在の品川女子学院あたりである。 当時の品川宿にはすぐ裏まで丘陵が迫っていたのである。
この品川女子学院脇から御殿山の坂の坂上に向かって上る坂道がある。 通り名は御殿山通りで特定の坂名はついていないが、なかなかきれいな坂道。 江戸時代も現在も御殿山は王子の飛鳥山と並んで桜の名所である。
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