鉄飛坂(中根)
地元の人が使う抜け道で、環状七号線の南交差点付近から八雲に抜ける道がある。 柿の木坂の渋滞を避けられる。 この道は尾根筋の環七から呑川(暗渠)に下り自由が丘に上っていく。 自由が丘駅は台地ではなく、呑川支流の九品仏川沿いにある。 駅の南側を九品仏川緑道が暗渠として残っている。
「てっぴとは山頂、てっぺんを意味し、それが坂名になったといわれているが、他にもポルトガル人テッピヨウスという人物が住んでいたからや、鉄砲鍛冶が居たからなど諸説ある。」 と書かれているが、諸説はさまざまである。
古い地図にも鉄飛坂の名前は記載されており、大正期には小字も鉄飛となっている。 諸説のいくつかについては、徳川幕府初期のころポルトガル人のヒモンヤスとテッペヨースから佐渡金山の技術改善のためのアドバイスを受けたという記録があり、そのテッペヨースが由来というのがある。 ヒモンヤスというのも碑文谷に遠くないので面白いが、いささか怪しい説とも思える。
坂上に帝釈堂があるが、ここには6体の鉄飛坂庚申塔群がある。 時代的には1680年から1881年までと開きがあるが、4体の堂内の碑については見られないものの、堂外の2体は常時見ることが出来る。 堂外のひとつは道標になっており、「右はほりの内 左は池上」と彫られている。 堀の内が杉並の堀の内という説もあるが、明治時代の和田堀内村の前の和田村、堀の内村時代の堀の内を指している可能性はありそうである。
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