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2018年1月30日 (火)

兵庫坂(中根)

寺郷の坂の長屋門のある名主岡田家の敷地であったのが岡田家の北側にある中根公園。 岡田家から目黒区に寄贈されて公園となったが、それ以前も地元の人々が自由に立ち入れる「岡田の森」という個人所有の公園のようなものだったらしい。岡田家の塀の外に岡田の森があったので地元の子供たちの格好の遊び場になっていた。今でも広葉樹の大木が何本もあるこの公園は作った公園というよりも昔からあるあそび場の雰囲気を残している。

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公園の北側を西から東に下るのが兵庫坂(ひょっこさか)。 道家剛三郎氏によると、戦前、公園の坂側に兵器庫があったので「ひょうこ」→「ひょっこ」と転訛したという。 別名を蜀江坂というが、これも「ひょっこ」を江戸っ子が発音すると「しょっこ」になるので付いた名前だという。 しかし、古い地図を見るとこの坂はもっと北側にあったので、この道の公園とは反対側が兵器庫だったはずである。

当時の呑川は岡田の森の北側に沿って流れていた。現在の呑川暗渠は川を付け替えた後に暗渠化されたもので、中根の崖線に沿って岡田の森には川が流れ、斜面に森が広がり、現在の中根公園よりもはるかに広いエリアだった。

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坂の西側200mほどのところにある寺郷の坂の寺、立源寺に上る崖線の坂道が現在の兵庫坂の数十m北側にあった。 その坂は水車があった呑川に掛かる土橋から急坂で崖を上り立源寺に至る細い道だった。

関東大震災後、鉄道の開通とともに市街地化の波が襲い、農地は次々と宅地化され道は整然とした区割りに変更されたので、現在は痕跡もないが、目黒区の資料による古老の話では、竹藪と杉山に挟まれた2~3m幅の未舗装路で、日陰で赤土の急坂だったので相当難儀をしたという。

また蜀江坂というのがこの古い坂に付いていた名前で、1365年に世田谷城主の吉良氏が、子供が死んだ時に東岡寺(東光寺)を建立し、蜀江の錦と土地を寄進した事に由来して蜀江坂となったという。この辺は道家氏の説とは異なる部分。

Hyokko
何か痕跡がないかと探してみたが何も見つけられなかった。土地造成開発というのは時に土地の記憶すらも消してしまうことがあるのかと落胆した。上の地図は古い地図から推定した当時の坂と川の流れを記載したものである。

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