緑が丘の稲荷坂の西にある坂で、由来もよくわからない。 ちどり坂という名がいつごろから呼ばれるようになったのかもわからないが、大正末期から昭和にかけて開発されたころにつけられた名前であろうか。
坂は坂上が北で坂下が南、そのため日当たりのいい斜面ということで震災後の早期に開発が進んだ。 昔から見晴らしと日当たりは人気宅地の条件である。 また緑が丘周辺は碁盤目に道路が開かれている。 大正末期から昭和にかけて東京横浜電鉄(東横線)、目黒蒲田電鉄(目蒲線)、目黒蒲田電鉄大井町線(大井町線)が開通したのも、宅地開発を急加速した要因だった。
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