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2018年1月27日 (土)

柿の木坂

柿の木坂は昔はかなり急な坂道で、目黒から二子へのこの街道を二子街道と呼んでいたが、二子街道の難所として有名であった。 坂下には立ちん坊(荷車の後押しをして小銭をもらう者)もいたという。 世田谷方面の農家は神田や京橋の市場に野菜を出荷していた。途中の柿の木坂はその傾斜が難所で、数人で協力し合って荷車を上らせたとも伝えられる。

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現在の緩やかな傾斜からは想像もつかないが、都市開発によって多くの坂はなだらかになっているのである。  古老の話では柿の木坂が一番難所で二番目が権之助坂だったというから、相当な坂道だったのだろう。

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坂の途中に東京都の立てた説明板がある。 ここも落書きで読みにくい。

「坂の途中に人目につく大きな柿の木があったので、この名がついたといわれる。 また、近所の子どもが、この坂を通る野菜を運ぶ荷車から柿を抜き取ったため、「柿抜き坂」が変わって「柿の木坂」になったという説もある。 目黒通りが今のように広くなる前は、現在の東横線高架橋の高さまで登る急坂であった。」

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この坂を形成したのは呑川である。 都立大駅前で上馬から流れてきた支流を合わせて流下していたが現在は暗渠である。 柿の木坂の周りには清水がたくさん湧いていたそうだ。 呑川もきれいな川でフナ、鯉、鰻が獲れたという。 呑川という名前は一般的にはきれいで飲料にできる水の川につく名前なので不思議はない。

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