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2018年2月 2日 (金)

闇坂(大森)

大森駅前池上通りの八景坂の途中、西に向かってくねりながら上る坂道が闇坂(くらやみざか)である。 角のセンチュリー21の脇に坂をショートカットする階段があるが、これは新しいもの。 闇坂は右に左にカーブしながら高度を上げていく。

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坂上と坂下に大田区の標柱がある。「むかし、坂側に八景園という遊園地があり、その反対側に加納邸があって、この坂道は細く曲がり、八景園の樹木が鬱蒼と覆いかかり、昼間でも暗かったために、この名が付いたといわれている。」とある。

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八景園の坂の北側にあった(写真右上のマンション敷地)。 開園は明治17年(1884)、久我邦太郎が大森駅前の畑地1万坪を買収し開発。 当初は施設はなかったが、梅や桜を植えて景色を整え、茅葺屋根の三宜楼という料理屋を開業して以来、訪問者が増えた。 景勝地としての人気はその後も続いたが、大正時代前期には廃業となった。

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坂上にあたる八景園の裏手は明治22年(1889)から昭和12年(1937)にかけて長く射的場であった。 現在大森テニスクラブとなって、9面の広いコートが広がっている場所である。 坂上を右に入ったところに、「日本帝國小銃射的協會跡碑」の石碑が立っている。

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坂上の南側では弥生時代末期の山王遺跡が発掘された(現在はマンション大森さん脳ホームズの敷地)。 比較的大型のマンションだが、その敷地全体に集落遺跡が広がっているのが、建設時(1979年頃)に見つかり発掘調査が行われた。

大森は縄文時代後期のモースの貝塚で有名で、何千年ものあいだ人間が好んで住んできた場所。 縄文時代は縄文海進で、駅周辺まで海が迫っていたが、その後徐々に海水面が低くなり海岸線は大森海岸まで伸びていった。それでもかつてはこの台地から眼下に東海道と江戸湊を望む場所であり、地下にはその歴史の数の遺跡が埋まっているはずである。

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