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2018年2月28日 (水)

寮の坂(尾山台)

世田谷区尾山台、環八通りの南に入ると多摩川の河岸段丘が続く。 「国分寺崖線」という。 地質学的に区分されているのは、目黒川と多摩川の間の台地が荏原台地、その多摩川寄りに延びるのが久が原台、久が原台の西側に小さく突き出た突端が田園調布台となっている。 田園調布から二子玉川にかけては、国分寺崖線が多摩川から少し離れているが、これはかつて暴れ川であった多摩川が蛇行した形跡である。

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寮の坂は九品仏と尾山台の間、環八の尾山台1丁目から段丘を下る坂道である。 坂上近くに石柱があり、その脇に御影石の説明板がある。

「松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和5年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。 往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本堂と並んで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人は寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことを考え合わせると、この坂の名称が思い起こされる。

なお寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器・兵糧の類を籠谷戸、寮の坂あたりに陸揚げをして、城へ運び入れたとも言い伝えられている。

さらに時代は下り、江戸時代に入ると川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として尾山傳乗寺がこれに当たり、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。」

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寮の坂を下っていくと最初はまっすぐな道だが、坂下近くで急に逆S字カーブになる。 これは西側の地形が雫のような形の突端で、それを巻くような坂道になっているためである。 この雫のような突端の正体は八幡塚古墳で、直径30m、高さ4mの5世紀半ばの円墳になっている。 その隣に尾山台宇佐神社が鎮座し、その南側に現在の傳乗寺がある。

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傳乗寺は山門、本堂、五重塔ともに小ぶりながら室町時代の雰囲気を残した良き寺である。 石碑にあった1316年というのは発掘された板碑の日付によるもので、記録では徳川家康が江戸に入った直後の1590年代の創建とされている。

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寮の坂は、この八幡塚古墳を迂回する部分の景色が良い。 室町時代はこの坂下まで多摩川が迫っていた。 その手前は六郷用水の八幡橋。 八幡塚の隣にある宇佐神社は源義家の勧請と伝えられるが、都内の多くの寺院がこの源義家の勧請とされている。 人気の武将で別名を八幡太郎義家と呼ばれる。 義家伝説は奥州征伐にちなんで東日本の各地に残されている。

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