鐙坂(馬込)
臼田坂から続く旧田無街道(古道)から内川の流れる将監谷に下る坂道がある。 坂下の目印は内川暗渠道路である馬込桜並木通りの交差点。 そこから北へ向かうと最初の辻に素敵なデザインの木造家屋が建っている。 その家の木塀の前に坂の標柱が建っている。
そこから坂はカーブしながら上っていく。 標柱には、「大正末期から始まった耕地整理によってできた坂道で、もとは狭い農道であった。 坂の名は、伝説によると、梶原景季(1162~1200)の愛馬磨墨が、鐙を谷に落としたところという、鐙谷の地名から名付けられたものという。」 と書かれている。 ここでもまた磨墨が登場した。
鐙谷という地名が指すのは臼田坂上から南西の低いエリア。 耕地整理以前の農道は薬1mほどの道幅しかなく、この坂の下には水田が広がっていた。 大正以前、この斜面を下る道がもう一つあり、少し東にある熊野神社の北側の路地がそれである。 ちょっとおかしなカーブを描いている路地なのだが、かつての道は神社の南側を回り込んで、坂を下っていた。 神社側に曲がらずにまっすぐに入る私道がその名残のようである。
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