おいと坂(沼部)
東急多摩川線沼部駅周辺は見所が多い。 多摩川の河川敷はかつての丸子の渡し。 駅の北側は六郷用水跡。 その周りには東光院、密蔵院と古刹がある。 東光院の開山は不明という説と、文禄3年(1594)という説がある。密蔵院も不明だが、鎌倉時代という説が有力。 六郷用水を家康が構築したのが1600年代初めなので、その頃から人通りの多い界隈だったのだろう。
東光院前から東に向かって上る坂がおいと坂である。 古くは雄井戸坂といった。 坂の上下にある大田区の標柱に由来が書かれている。
「『大森区史』は、「下沼部にある。伝えるところによれば、北条時頼行脚して中原に来た。病を得て難治であった。井戸水があって使用したところ程なく全治した。その井戸は沼部に一つ、中原に一つあった。後、中原の井戸を沼部に移し、雌井(めい)、雄井(おい)と称した。おいと坂は即ち雄井戸坂のことであろう」と記している。」
北条時頼は鎌倉時代中期の武将。 今でこそまっすぐな坂道だが、耕地整理で真っすぐになるまでは、竹藪の中の急な曲がった坂だったようだ。 明治初期の地図には坂上に熊野社として鳥居マークがある。関東大震災以降の地図にはない。 雄井戸、雌井戸の場所は不明とされている。 謎の多い坂である。
坂上近くから多摩堤通りに下る無名の坂道がある。 遠くに武蔵小杉のビル群を眺めながらやや曲がりながら下っていく。 下ったところには六郷用水の跡がある。 左に折れると密蔵院。 密蔵院にある庚申供養塔は寛文元年(1661)の造立で大田区最古である。
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