河原坂(鵜の木)
富士見坂を下ると多摩堤通りを渡って東急多摩川線鵜の木駅。 年配者には目蒲線の方が馴染みがよい。 多摩堤通りに出る手前で坂道が3本合流する変形の辻。 南が富士見坂、真ん中は無名の坂、北が河原坂である。
無名の坂はなかなかの坂で真ん中が階段になっている。 名前を付けたいくらいだが、昭和時代の比較的新しい坂である。 富士見坂は明治時代からある坂で、上の写真のまっすぐの道は明治以前からある河原坂である。
この路地は緩やかな坂なので、つい普通の路地だと思ってしまうのだが、途中に大田区の立てた標柱があるので、河原坂と気付く。 大正時代まではこれがメインルートで、この先の広くなっているところで坂上に向かって曲がっていたのである。
現在はこの切通しの坂が環八方面へ行くルートになっている。 この緑のガードレールの道の上にも大田区の標柱がある。
「現在の鵜の木2、3丁目付近は、昔、多摩川の河川敷であったので、河原の地名がある。 坂名の由来は、河原に出る坂道であることによる。 今は切通しになってゆるやかであるが、以前は道幅も狭く急な道で、河原の畑を往復する荷車などは、難儀したという。」 と書かれている。
切通しの上は鵜の木松山公園。 鵜の木一丁目横穴墓群がある。 古墳時代から奈良時代(7世紀~8世紀前半)の古墳で、この丘陵沿いにいくつも並んでいる。 坂の上を越えると六郷用水の暗渠道になる。
六郷用水は江戸の街のディベロッパーである徳川家康が1597年から作り始め、1611年に完成させた多摩川下流域の灌漑用水。 六郷の地名は、当時の大田区の平地部の呼び名だった。工事代官は富士宮出身の小泉次太夫で、世田谷区には次太夫堀公園がある。
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