氷川坂(八雲)
目黒区の八雲の地名は比較的新しいものだが、由来はその昔に遡る。 「やくも」と読み、「やぐも」とは濁らない。 氷川神社の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が古事記の中で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、生贄にならずに済んだ櫛名田姫(くしなだひめ)を妻にし、「八雲たつ・・・」と日本最初の歌を詠んだ伝説がある。 その八雲を地名にしたわけである。
氷川神社は古すぎて創建の年代がわからないという。 改築が1855年という記録があるのでそれよりも何百年か古そうである。 柿の木坂下で斜めに分岐して曲がりながら氷川神社参道前まで通る八雲通りは昔の目黒通り(二子道)である。二子道は神社の鳥居前から氷川坂を通り、やがて上野毛通り筋で上野毛に至っていた。
坂下近くに目黒区の標柱がある。「近くに氷川神社があるので氷川坂と呼ぶようになり、この坂下あたりを坂口といった。坂のあるこの道から氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である。」とある。
しかし氷川坂というのは比較的最近の坂名で、以前は宮前坂と呼んだ。氷川神社は衾村の鎮守で、農村時代の村の中心だった。また神社は「癪封じの神」として有名で周辺各地からの参拝客も多かったようである。「癪」というのは、おなかの痛みをいうらしい。
氷川神社境内には「大辻の庚申」という庚申塔が2基あり、昭和の初期までは柿の木坂のあぜ道にあったものが、あちこち転々として平成23年にようやくこの氷川神社の境内に落ち着いた。 三猿の塔は1674年、もう一つは1749年のものである。
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