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2018年2月26日 (月)

馬坂(田園調布)

田園調布は実は坂の宝庫である。 渋沢栄一(1840~1931)が計画した欧米の田園都市構想を実現した住宅専用市街地である田園調布は、当初の庶民が気楽に住める住宅地の発想とは違って、現在は超高級住宅地のイメージだが、実は大半の家は斜面に建つ平均的な戸建て住宅である。

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大正時代に分譲が始まり、折しも関東大震災が発生、その際に田園調布の台地の地盤に建てた家屋の被害が極めて少なかったのが評価された。 現在の地学の常識では台地が地震に強い地盤で、河川の堆積物の上にある平地が軟弱な地盤であることは常識だが、昔はインフラ整備についても平地の方が容易で早くに開発が進んだのであろう。

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馬坂はその台地と六郷用水の流れる崖線下を結ぶ明治以前からの道である。坂下にある瀟洒な照善寺は寛永16年(1639)の開山で、その脇から上っていくのが馬坂である。馬坂も20%ほどの勾配があり、相当な急坂になっているが、何しろ周辺の無名坂が殆ど20%を超えているのでここだけがきついという印象はない。

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坂上の標柱には、「この馬坂は、大正の頃まで、馬が引く荷車で台地へ上る唯一の坂道であるため、馬道と呼ばれた。 昔は荷車が通るだけの狭い道幅であったが、耕地整理により道幅も現在に近いものになったといわれる。 また、寺坂と呼ばれたこともあった。」とある。

寺坂というのはおそらくは照善寺を指しているのであろう。坂上からの眺望もなかなかよい。 坂下にある古墳は見学はできないが、「西岡31号古墳」といい、4世紀末~5世紀初頭の古墳で、円筒型埴輪などが出土した。 この辺りから多摩川園駅前の浅間神社にかけては何十もの古墳が発見されている。 大昔の人は多摩川と台地の恵みを受けられるこの場所を選んだのだろう。

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