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2018年3月 8日 (木)

行善寺坂(瀬田)

二子玉川ライズの裏手から北に続く道は古道である。 二子玉川駅周辺は瀬田河原と呼ばれ、二子の渡しがあった。 明治40年(1907)に多摩川電気鉄道が渋谷~玉川(現二子玉川)間を開業したが、東京オリンピックの頃まで二子玉川は田んぼの広がる田園だった。

崖線上から多摩川を見下ろす崖に邸宅を建てる有力者も多く、高橋是清らがこぞって見晴らしのいい崖線上に別荘を建てた。 現在の静嘉堂文庫も三菱財閥の岩崎家の墓所である。崖線下には遊園地や梅林が整備され、行楽客も集まったが、それでもまだ田園地帯であった。

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丸子川(六郷用水)を渡るとまっすぐな行善寺坂と崖線沿いに上る線路わきの道に分かれる変則交差点。 線路わきの道は昭和になってから開かれた車道で、まっすぐな方が江戸時代からある道である。 この分岐から行善寺坂が始まる。 途中で東側から行火坂が下ってくる。 行善寺坂は緩やかにずっと上っていく。

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この道はかつての大山街道(厚木街道)である(慈願寺坂も一説には大山街道とされている)。 江戸時代も多くの人々が行き交う道だった。 坂上に行善寺がある。  開山は永禄年間(1558~1569)。 初期のブラタモリ「二子玉川」にも登場した。 境内裏からは多摩川の流れと二子玉川が一望できる。 江戸時代から玉川八景として有名で、将軍も多摩川行楽の折に立寄った古刹で、11代将軍徳川家斉の記録では「瀬田河原へ御成、行善寺御弁当所」とあるようだ。

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坂上には瀬田貝塚跡がある。 縄文前期(7000年前~5500年前)の貝塚で汽水域のヤマトシジミと海水域のハマグリが半々、この辺りまで潮が上がってきていたのであろう。 瀬田貝塚は多摩川流域で最も上流にある貝塚で、縄文海進がこの辺りまで来ていたことを物語る。 また大型の竪穴式住居跡も見つかっており、ムラ的な場所だったようだ。 その場所に江戸時代は大山街道が通り、現在は二子玉川という一大商業ゾーンがあるというのは、このエリアが人間の集まる場所として適していたということなのであろう。

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