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2018年3月19日 (月)

座頭ころがし坂(大蔵)

世田谷区内を通る東名自動車道が大蔵地区を南北に分断したが、現在は橋が3本掛かっている。西から大六天橋、グランド橋、公園橋である。 公園橋はバスも通るが決して広くはない。ほかの二つは車のすれ違いは難しい。 グランド橋だけが北から南への一方通行になっている。 したがって自動車は坂を上ってくるだけである。

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座頭ころがし坂というのは面白い名前である。 大蔵の古老も東名開通以前から大変な坂道のひとつとして挙げている。 もともとの名前に「坂」はついていない。 「ざとうころがし」というのが地元の呼び名である。

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昔の道幅は2mほど、30mの高低差を一気に下る坂道で、当時は人里離れた寂しい所だった。 鬱蒼とした雑木林の間にはおいはぎも出没したので、通る人は怖れて、山から里へ転げ落ちるようにして通ったことから「ざとうころがし」と呼んだと伝えられる。 「座頭ころばし」と呼ばれる坂は地方にも見られ、急坂の代名詞の様に使われている。

座頭という言葉を差別用語だという人もいるが、ノーマルに考えてそれを差別用語という人の方が差別意識を醸し出していると思う。 用語が問題なのではなく、状況を踏まえずに発言し相手を傷つけることが問題なのは、セクハラと同じではないだろうか。

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坂下では北から下ってきた愛宕坂と合流し、仙川に架かる清水橋を渡る。 明治以前は仙川も暴れる川だったらしく、明治初期の古地図では川筋が2本に分かれ、間の土地には家はなく田んぼだった。

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坂下には3基の庚申塔が雨除けの屋根の下にある。 愛宕坂と座頭ころがし坂が出合うこの交差点を昔の人は打越辻と呼んだ。 左が地蔵っぽい石塔、真ん中は笠付庚申塔、右はノーマルな庚申塔である。 建立年代は不明。 左の地蔵は田の神という説もある。 説明を書いた板を見ていたら、ここに上屋根を設置した時の祭主は妙法寺の小林住職とある。 うちの菩提寺の住職であったので、いささか驚いた。

石井作平氏著 『座頭ころがしの狐ども』より引用

昔、砧村の座頭ころがしの辺りには狐が沢山棲んでいました。座頭ころがしとは、岡本と大蔵の間にある坂道の呼び名です。幅約2メートル、距離にして200メートル、高さは3メートルくらいの切通しになった坂道です。今でも形だけは少し残っていますが、昔は人里離れた寂しい坂道でした。辺り一面鬱蒼とした雑木林で、昼間でも女子供はうす気味悪くて通れないようなところでした。

しかし坂の上の岡本と坂の下の大蔵を結ぶ大事な坂道でしたので、通らないわけにはいきません。ところがキツネが出てきて人を化かしたり、追い剥ぎが出たりするので、怖くてたまらず、山から里へ転げ落ちるように通ったといううので、“里ころがし“と呼ばれるようになったとか、あまり急な坂道なので座頭(目の見えないお坊さん)がよく転げ落ちたので、”座頭ころがし“と呼ばれるようになったとか、言い伝えられています。

 

この座頭ころがしの西側は、成城から三鷹の方まで、南側は等々力の方まで、雑木林が続いていて、この雑木林の中にはキツネやタヌキ、イタチやウサギ、イノシシまで住んでいました。特に狐と狸の数は多く、その中でもタヌキが多かったので、きぬた村という名前は「タヌキ村」から来たのだ、という人がいるくらいです。

キツネはよく人間に悪さをしたそうです。夜遅く、この坂道を通ると、必ず2,3匹のキツネが付きまとってきて、悪さをしたそうです。ですから、村の人々は夜遅くこの坂道を通るときは、提灯を点け、大きな声を張り上げながら通りました。

さて、この辺りのキツネどもにまつわる昔話を選んで、お話をいたしましょう。 キツネにまつわる話と言えば、当然人間が化かされた話になりますが、この辺りのキツネどもは悪ふざけが好きで、化かされた話も少しばかりひどい話になっています。

ある暖かい春の晩、岡本に住むおじいさんが、大蔵の親戚の家の結婚式に呼ばれた、その帰り道のことでした。おじいさんは酒に酔って、ほろ酔い気分になり、ふらふら千鳥足で座頭ころがしに差し掛かりました。坂の途中までくると、急にあたりが明るくなりました。おじいさんは、

「おや、おや、どうしたのかな?」

と不思議に思いながら目をこすりこすりあたりを見回しました。すると突然、おじいさんの目の前に10歳くらいの娘が現れました。そして、なれなれしく、

「おじいさん、おかえりなさい。」

と声をかけてきました。おじいさんはびっくり。ほろ酔い加減の目を見張って娘の顔を見ました。すると娘は長く伸ばした黒髪を束ねた丸顔で、目元のきれいな顔をしていました。その顔は紛れもなく、おじいさんの孫娘の「お葉」にそっくりでした。おじいさんは二度びっくりして、

「お前は、お葉ではないか?」

と言いました。娘はにこにこして、

「あんまり遅いので心配して来たの。」

おじいさんは孫娘がこんな寂しいところまでよく一人で迎えに来てくれたものだと思い、

「ありがとうよ。お前はほんとに心の優しい娘だ。」

と言って喜びました。

おじいさんはすっかり孫娘のお葉だと信じてしまいましたが、実はそのお葉は、キツネが化けたお葉だったのです。キツネはおじいさんが孫娘だと信じたのを知ると、

「おじいさん、もうここはおうちの中よ。」

と言いました。おじいさんはいくら酒に酔っていても、自分の通ってきた道くらい知っているつもりでした。

「まだ座頭ころがしと思っていたのに、もう家に着いたのか。お葉の顔を見たので、急に足が速くなったのかな。」

「おじいさんたら、まだお酒に酔っているのよ。もう、ここはおうちよ。」

「だが、お前…」

と言い掛けましたが、やさしく笑っている娘の顔を見ていると、本当に自分の家の中に居るような気がしてきました。

「おじいさん、今日のお土産なあに?どんなご馳走が出たの?」

いつも孫娘が甘えてくる声でした。おじいさんはすっかり安心してしまいました。

「そうそう、今日は素晴らしいお土産だよ。栗きんとんに、かまぼこに、タイの塩焼きの入った折箱だ。それにお前の大好きなお赤飯もいっぱいもらってきたよ。さあ、たんとお食べ。」

「まあ、うれしい。おじいさん、ありがとう。」

おじいさんは孫娘に喜んでもらおうと思って、いっぱいご馳走を持って帰って来たのです。娘は、おじいさんからお土産を受取りました。

何処のキツネでも、ここまで人間を化かせば、自分の目的が果たせたとばかり、そこでドロンと姿を消して、逃げて行ってしまうのですが、この辺りのキツネはいたずら好きで、おじいさんをもっと困らせてやれとばかりに、まだ化かし続けました。

「おじいさん、お風呂が沸いておりますから、早くお入りください。」

風呂好きのおじいさんは、

「そうかい、そいつはありがたい。ではひと風呂浴びるとしようか。」

と言って、孫娘の後ろについていきました。キツネはおじいさんを坂の上の畑の真ん中まで連れて行きました。おじいさんはふとつぶやきました。

「風呂場がいやに遠くなったようだが、酔っぱらったせいかな?」

娘は笑顔で、

「さあ、お風呂よ」

そこはなんと、畑の隅に造った大きな肥溜めでした。おじいさんは裸になると、ザッブンとばかりお風呂ならぬ肥溜めの中に入りました。 肥溜めの中に入ったおじいさんはまだ気が付きません。

「ああ、いい湯だ、いい湯だ。」

と気持ちよさそうに入っていましたが、酒の酔いがさめてやっと正気に返りました。そしてこともあろうに、臭い臭い肥溜めの中に浸かっている自分を見つけてびっくり。おじいさんは寒さのため、体をガタガタ震わせ、鼻のもげるような臭さに息を詰まらせて、肥溜めから飛び出しました。

「うわあ、臭い。 これはたまらん。 肥溜めだ。 キツネのやつめが、このわしを化かしおったのだ。」

お土産のご馳走をごっそり取り上げられ、その上ひどい目にあわされたおじいさんは、プンプン怒りながら、臭い臭い肥やしだらけのまま、わが家へとんで帰ったそうです。

また、ある野良帰りのおじいさんは、座頭ころがしに差し掛かった時、途中の四つ角でいつもは左へ曲がるのを、右に間違えてしまいました。いえ、間違えたのではありません。キツネに化かされてしまったのです。

左へ曲がれば自分の家への道ですが、右へ曲がらされ、正反対の方向に歩かされてしまったのです。岡本の方から坂を下り、右へ曲がると雑木林の中へ入っていき、大蔵原に出てしまいます。大蔵原は岡本の西に面した大きな野原です。ススキやクズや雑草の生い茂った、広い広い野原の中に、そのおじいさんは迷い込んでしまったのです。

家では、帰りがあまりに遅いので、心配してみんなで手分けをして捜し歩きました。すると案の定、おじいさんは大蔵原のススキ野の真ん中で、鍬を担いだまま、

「おらの家はどこだ、おらの家はどこだ」

と叫びながら、ぐるぐる同じ場所を回っていたそうです。

そうかと思うとお彼岸の牡丹餅を親戚へ届けようと、座頭ころがしを通っているうちに、その牡丹餅を馬糞と取り換えられてしまったという話もも残っています。座頭ころがしのキツネに化かされた話はいくらでもあります。この辺りのキツネどもは本当にいたずら好きだったんですね。

追記: 2018/12/8

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