谷戸坂(岡本)
東名高速東京インターから岡本方面へ向かう下り坂。 坂下には谷戸川があり、四之橋が架かっている。 直線の坂道である。 谷戸坂というのはほぼ地元でのみ認識されている坂名。 関東では谷筋のくぼ地を谷戸と呼ぶ地域が多い。 鎌倉あたりの谷戸が有名。
武蔵国、相模国では谷筋を一般的に谷戸、谷津といい、東北北海道では谷地という。 文明が進化する以前は、大きな平野で灌漑農業などということはあり得なかった。 こういう小さな谷筋で人間は生きてきた。 というのも大きな平野は度々洪水に見舞われて、隅田川や利根川沿いなどとても住める場所ではなかったのである。 江戸以前の人々は小さな谷あいに住み、斜面や丘で畑や果樹を植え、水が確保できる小さな谷筋で米作をしていた。 生きるための水もここなら川も湧水もあって困ることはなかった。
実際にこのあたりでは旧石器時代からほぼ全時代の遺跡が出土している。 昔は坂の上の環八辺りまで広がる地域を「原」、坂の下の谷戸川流域を「谷戸」と呼んでいた。 地元の古老の話では、この坂の途中に第六天があったが、今はないという。この辺りの昔の子供にとっては家も何もない原っぱだった現在の砧公園辺りもテリトリーで、砧公園内にある大塚あたりでも遊んでいた。 大塚は古墳のようだが祭礼用の土盛で、その上に下駄を置いて塚の周りを3周回ると下駄が消えてなくなる、などという奇談を伝えている。
谷戸川の四之橋を越えると道は再び上りになる。 谷戸だからである。 東名が開通してこの辺りの地勢は一変した。 もとは砧緑地や世田谷総合運動場から大蔵方面まで多くの村道が繋がっていたのが完全に分断されてしまったからである。 前述の第六天は岡本八幡に合祀されたと聞いている。
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