浄音寺坂(野毛)
等々力渓谷を下ると川の流れが交差する珍しい場所に出る。 等々力渓谷を流下してきた谷沢川の流れが、六郷用水を跨ぐ形になっている。 その川の交差点の西側に、六郷用水を渡る天神橋から、国分寺崖線を上るのが浄音寺坂である。
この道の西側には暗渠が沿っている。 この暗渠は浄音寺坂の石碑近くまで行くと開渠になっている。 道が右にカーブしている左のブロック塀の中は墓地で、その裏に開渠が続いている。 道路わきにある石碑には坂名のみが記されている。
ここに墓があるのは、かつてここに浄音寺という寺があった名残だろう。 世田谷が吉良氏の支配下にあった時代は鎌倉幕府との関係が深かったが、吉良氏が滅ぶと部下であった侍たちは農民として土着した。その一族がここに寺を開いており、鎌倉から尼僧を招いていたが、天保時代に焼失し墓だけが残っている。
坂上には谷戸庚申塔がある。 老朽化のため平成16年(2004)に建て直された。 この谷筋は等々力渓谷の谷沢川の西隣の沢筋にあたる。 荏原台にはこういう開析谷が多く、谷戸と呼ばれているが、鎌倉も似たような地形が多くやはり谷戸と呼ばれている。
この谷戸の崖線上には野毛大塚古墳があり、崖線下にもたくさんの古墳が見つかっている。浄音寺坂の道筋は江戸時代からの道で、昔から民家が並んでいた。 坂上に詰めると、現在の公務員住宅の辺りに明神祠があり、そこから道は西へ向かい、野毛大塚古墳に至っていた。
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