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2018年3月 3日 (土)

等々力の坂(等々力)

以前は目黒通りは環八まで、それより多摩川側は長い間用地買収と拡幅工事で旧道の時代だった。 現在もまだ工事計画は進行中で、多摩川を渡る等々力大橋が計画されている。全線完成すれば目黒通りは新横浜駅まで繋がることになる。

環状八号線は国分寺崖線の河岸段丘の上を走っている。 そこから目黒通りが多摩川へ下っていく部分が等々力の坂。 道が拡幅されてしまったので、あまり傾斜は感じられない。

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写真の右手の樹木は等々力不動尊、反対車線側のこんもりとした森は御嶽山古墳である。 50基以上が連なる荏原台古墳群の中では、野毛大塚古墳に続く規模のもの。 時代は5世紀後半から6世紀。帆立貝型の古墳である。

等々力不動尊は等々力渓谷に下る崖線にあるが、大井町線等々力駅の北側にある満願寺の別院。 崖下の不動の滝では昔から修行僧が滝行をしていた。 等々力渓谷に下る「たきのみち」も楽しい階段である。

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等々力渓谷は国分寺崖線の南の端にある開析谷で、谷沢川が九品仏川の流れを谷頭侵食してできた。 用賀あたりを源流とする谷沢川は。元は九品仏から自由が丘方面を流下し呑川に注いでいたが、南から多摩川の国分寺崖線を流れる沢が谷を深くし、やがて谷沢川に達すると、九品仏川の上流であった谷沢川の水流を奪うようにして多摩川側へ流れが変わったのである。 この地学のドラマは河川争奪とも言われる。

ただ、自然に起こったという説のほかにも、人間が流れを変えたという説もある。 私は前者だと考えている。 というのも、九品仏川流域の農民がそれを許すはずがないと考えるからである。 坂の周りにはこんな壮大なドラマも付いてくることがある。

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