だんご坂(千歳台)
環八通りの環八千歳台交差点から西に向かう都道のガスタンク手前までがだんご坂である。 現在は坂というよりも、わずかな高低差というくらいしかない。 高低差は地形図データでは4mあるが、実際には2mくらいしか下がっていないように感じられる。
長い間ここはなかなか開通しない計画都道のひとつという認識だった。 しかし調べてみると、この道は江戸時代からある道だった。 環八の交差点に北東の明治大グラウンドから斜めに入ってくる道がある。 環八ができる以前はそれがこの坂に繋がっていてどちらも滝坂道の一部だったのである。
ガスタンクを挟んで北側に斜めに走る道は、かつての烏山川の本流筋で現在は暗渠だが、その気配を見せない普通の道路になっている。 まっすぐにだんご坂を西に上って進むと、榎の交差点から安穏寺坂になる道筋である。
東京が急速に都市化された昭和30年代にこの辺りにはいくつもの団地や新しい道路(環八)ができ、昭和31年には廻沢に東京ガスの巨大なガスタンクが出現した。 都内では昔、西新宿のパークハイアットホテルの場所に巨大なガスタンクがあったが、ここは今でも5基の巨大タンクが残っている。 このタンクはガスホルダーと呼ばれ、昭和の高度成長期の象徴的な存在である。
ガスタンクの北側に広がるのは蘆花公園(蘆花恒春園)。 徳富蘇峰(徳富蘆花)は明治40年(1907)に青山からこの地に引っ越してきた。 当時はここは千歳村粕谷という小さな農村だったが、蘆花は住民に慕われてその後もここで暮らした。 『みみずのたはこと』という彼の著書がこの辺りの当時の民俗を詳しく伝えている。 現在は徳富蘆花の旧居も公開され、武蔵野の面影を残す公園の中でゆったりとした時間を過ごすことが出来る。
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