安穏寺坂(上祖師谷)
環八千歳台から西に延びる都道118号線は何年経っても完成しない計画道路のひとつ。 世田谷にはなぜか一部整備されて途切れている道路がいくつもあってなかなか完成開通しない。 うちの近所にも数十年完成しない道路がたくさんある。 戦後の日本の道路は「通る必要性」ではなく「作る必要性」でできたものが多い。 しかし古道はまったくそれに当てはまらない。 古道は必要から生まれたものだからである。

坂の北側はずっと安穏寺の墓所で、その石垣が続いている。安穏寺は江戸前期の開山。 神明社とほぼ同じ時代。 滝坂道に沿って人々が住み始めて村が形成されて寺社が造られていったのだろう。 前述の都道の工事は安穏寺の裏手から宮下橋東の駒沢大学グランドまでは進んでおり、道幅の狭い安穏寺坂で運転が得意でない人々が往生して詰まってしまう交通問題は近々改善されそうだ。
安穏寺坂下には馬頭観音があって、滝坂道らしい風景を見せてくれる。ここには庚申塔やその他諸尊がいくつかあり、何となくホッとする空間である。 滝坂道の西の終点は、野川の支流入間川の上流の谷にある甲州街道の滝坂、東の終点は渋谷の道玄坂。 西の終点の滝坂をとって滝坂道と言われるが、都心と府中をつなぐ府中道のひとつとも言われている。
上祖師谷村は江戸時代に入ってから住む人が増え始めたが、安穏寺坂の坂上の辻である「榎」の交差点は江戸時代からの東西南北の交通の分岐点であった。南北の道は六郷田無道で、これは大田区の臼田坂に繋がっていた道である。 エノキはよく街道の目印に植えられていたので、江戸時代にはここにも榎があったのだろう。 現在は榎はない。
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