弔い坂(祖師谷)
世田谷の細道の坂である。 この坂に到達するのは地元民でないと難しいかもしれない。 ちょっと見は住宅地の中の路地にすぎないが、この弔い坂は相当古い道であると同時に、祖師谷と上祖師谷の町境でもある。 坂の東側が祖師谷、西側が上祖師谷。 元禄8年(1695)の検地で祖師谷は上と下に分割された。 その境の道である。


弔い坂の東側にもう一つ古い道がある。 変形の丁字路に住宅地には不似合いな空き地があり、庚申塔の社とその向こうに広がる空き地に鳥居と小さな社がある。「ここは神明社の境内」と立て札にあるが、実はこの土地には長い歴史がある。
祖師谷が分割された元禄時代、上祖師谷の村社は仙川宮下橋脇の神明社、祖師谷の村社は祖師谷商店街近くの神明社となったが、明治までこの空き地に熊野神社と稲荷森稲荷社があった。 稲荷神社は明治7年に氏子の申請で熊野神社に合祀された。 しかし明治43年に行政が熊野神社を神明社に合祀したという。 されども庚申塔の社だけは残され現在に至っている。 実物は祠の中で読めないが、享保4年(1719)の三猿の庚申塔とされている。

| 固定リンク
コメント