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2018年4月 8日 (日)

半田坂(松原)

凧坂とは馬頭観音で左右に分岐する。 その角度は30度もなく、それぞれの道が甲州街道にぶつかっても300mほどしか離れていない。 それでもこの半田坂も凧坂も重要な古道だった。 凧坂がすぐに高度を上げるのに対して、半田坂はゆっくりと上っていく。

半田坂は地元ではえんま坂と呼ばれていた。 江戸時代には半田坂の坂下馬頭観音から少し北の東側に約90坪の敷地に複数のお堂(十王堂、十三堂)があり、そこにえんま様が祀られていたことに由来している。戦前までえんま坂とも呼んでいたようなので、江戸から昭和までの変化はゆっくりだったのだろう。

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凧坂の「菅原天神通り」に対して半田坂から甲州街道までは「松山大山通り」と呼ばれていた。  甲州街道を西進してきた旅人が、現在の明治大学の辺りで角にある「大山石尊」と書かれた道標を見て、この道に入り大山道(現在の国道246号線)に向かった。 そのルートならば少しでも短いこちらの道が開けたのは理解できる。

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半田坂が凧坂と分岐したすぐ北側を、両坂を貫くように東西に通っているのが羽根木通りという古道。 東進すると井の頭線の東松原駅前を通り環七を横切って井の頭通りに至る、こちらも古道。 都内の古道の多くは明治初期の地図のままの道筋なので、当時の地図を見ながら歩くのは面白い。 僅かに曲がったりくねったりしている道はほぼ古道である。

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半田坂の坂名の由来は半田塚に因る。 なぜか半田塚は凧坂にある。 半田塚については諸説あり、不明な点も多いという。 1,300年~1,400年前にここに塚があってのちに祠が建てられていたといい、墳墓とされている。 土地の人は「大塚さま」と呼んでいる。 祠に祀られているのは、後の鎌倉時代に新田一族が川越城を攻め落としたときに、多摩川原での戦いに敗れ傷ついた残党たちでここで息絶えたという。

坂名のある坂はしばしば古道にあり、そして古道には古い歴史が積み重ねられていることを感じる半田坂、凧坂である。

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