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2018年4月14日 (土)

深沢坂(深沢)

駒沢公園通りは駒沢通りとの交差点「深沢不動」の南で二つの道に分岐する。 左の広いほうが昭和に入って開通した駒沢公園通り、右側が古道「江戸道」で、大山街道(国道246号線)から分かれた裏街道。 この江戸道は深沢から等々力を抜け、多摩川を渡して川崎の中原へとつながる道で、江戸へ行く道ということで江戸道と呼ばれていたようである。

深沢の地名の由来は呑川の沢が深い事から来ている。 呑川は8ヶ所の湧水を持つ沢を集めて大森の海岸に注ぐ東京の小河川だが、呑川の川名の由来は飲料に出来るほど水がきれいということで付いた。 深沢坂の傍にも8つの沢のひとつの源頭がある。 深沢神社の隣の三島公園にある弁天様の池がその一つ。

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三島は古い字名で、公園にかつての地名が残っていることは意外に多い。この弁天の池の湧水はすぐに呑川本流に注ぎ、沢というほどの沢ではないが、深沢坂はこの池の傍の深沢橋から等々力方面に上っていく。 古くはこの近くに満願寺があって満願寺坂と呼んでいたとか、またお茶屋があったことから、お茶屋坂と呼んだと伝えられる。 満願寺は1560年頃に等々力に移転した。

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深沢坂下のバス停は新道にあるが、元々の坂下は呑川の深沢橋である。一方深沢坂上のバス停は間違いなくこの坂の上にあり、近くに深沢坂上公園もある。 坂上近くに都立園芸高校があるが、ここは北条氏の家臣の深沢城(兎々呂城)があったところ。 兎々呂城の名前がのちに等々力の地名となったという説もある。

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