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2018年4月28日 (土)

宮益坂(渋谷)

渋谷では道玄坂の次にメジャーな坂。 山手線から青山方面に上る坂で、古くからの街道でもある。鎌倉時代は鎌倉街道の主要道である中道は、代官山から並木橋、八幡坂を経て青山学院大学、表参道北青山のまい泉の通りから勢揃坂を経て鳩森八幡へというのが主要道だったが、江戸時代になってからは大山街道が主要道に変わっていった。

大山街道は三軒茶屋から池尻大橋、道玄坂を経て渋谷川に架かる富士見橋を渡り宮益坂(江戸時代は富士見坂と呼んだ)を通って江戸城へ向かった道である。

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坂上のガソリンスタンド辺りから建物の低かった昔は富士が見えたそうだが、もちろん今は見える由もない。 坂の途中に標柱がある。

「かって、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。 ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。」

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東京は日本で最も変化の激しい都市、その中でも渋谷は群を抜いて変化しつつある街である。 現在東急東横店は半分取り壊され、渋谷川の流路の付け替えが終わり、ここから何本かの超高層ビルが建ち始める。 長年親しんできた東急東横線も地面の下に消え、宮益坂下は超高速早送りのように毎日変貌している。私の渋谷はプラネタリウムのドームのある文化会館と場末感満載の道玄坂、路地に入ると妙にハイカラな店があったりして、ここから新たな文化が生まれる予感、そういう昭和の渋谷である。

小説家田山花袋(明治4年~昭和5年)の記述が興味深い。

「宮益の坂を下りると、あたりが何処となく田舎々々して来て、藁葺の家があったり、小川があったり、橋があったり、水車がそこにめぐっていたりした。 私はそこを歩くと、故郷にでも帰っていったような気がして、何となく母親や祖父母のいる田舎の藁葺が思い出された。」

明治までは田んぼの中に小川が流れていた渋谷の街だが、どんなに開発が進んでも銀座線は上層階から発着し、井の頭線はトンネルを抜けないと下北沢には行くことが出来ない。 超高層ビルに上って文明を喜んでいる人間は、高い樹木に上って安心している猿に似ている。

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